昨日が雨だったのでできなかった洗濯ができて、幸せ。あと、掃除。ひる、Kさんと銀座アスター。帰りにずっと買いそびれていた『よろこびのうた(初回生産限定盤A)(DVD付)藤兵衛ドンと農民たち)』を買って帰って、視聴。よくもまあ、こんな馬鹿馬鹿しいこと、思いつくなあ。でも、ものすごく楽しそうなのがいい。というわけでヘビーローテーション。「ベェトォベン、ベェトォベン」が頭の中をぐるぐるぐるぐる。
録画してあった『BSドキュメンタリー「50年目のリトルロック〜アメリカ 消えぬ人種差別〜」』を見る。50年前のリトルロックの映像と今。教育の場の命がけの統合から50年の、一緒のはずの場の中の分離の現実。英語のニュアンスがわからないので、字幕の言葉をそのままには受け取れないのだけれど、「高校生たちの本音」として、白人の高校生の黒人観、黒人の高校生の白人観が映し出される。そして、合間にはさまれる黒人コミュニティと白人コミュニティとの経済格差の現実の映像。アファーマティブアクションが明らかに必要な状況で、日本の解放教育運動のような取り組みが貢献できることがたくさんあるように思える。仕事がら、その高校の教員が何をしていて、何をしていないのかが気になるわけなのだが、出てくるある教員は、苦境にあるある黒人の高校生を自宅に引き取り、アルバイトを斡旋し、そして言う。「だって、寝るところもないあの子を放っておける?」。でも、その取り組みが個人的でありすぎるところに違和感が残る。ある授業で教員が「身近な人が警察のお世話になったことがある人?」「身近な人が殺されたことがある人?」と問うと、その場にいたほとんど黒人の生徒が手を上げる。「自分は、母がレイプされてその結果生まれた。」と告白する黒人男子生徒が映し出される。ある黒人高校生が言った「白人は、白人というだけで、おぜん立てがされている」という言葉は、重い。
晩ご飯、豚肉の味噌いため、にらともやしのポン酢、大根とあげの味噌汁を作って食べる。旨い。夜、『M−1』を見る。私のツボにどんぴしゃで入ったサンドイッチマンが優勝で、なんか、うれしい気分。