今日の午前で年内の仕事が終了。昨日の仕事は私をへこませたのだが、今日の仕事で元気になった。一緒に仕事をした人たちに感謝。何とか今年も仕事を休まずに年の瀬を迎えることができた。単純に、うれしい。
ひる、Kさんとイタリアン。食事中にKさんが私の手の甲を見て「きれいになったなあ」と言う。二人であれこれ考えて、結論は「最近よく家事をするようになって、洗剤が手の甲をきれいにした」というもの。ホントか。
帰りにキムチほかを買って帰って、キムチ鍋を仕込んで、晩ご飯。食べながら、録画していた『人志松本のすべらない話11』を見る。兵動がこんなに面白い奴だということを知る。食後、引き続き、録画していた『にっぽん家族の肖像 最終集 うちらがおるから大丈夫や』を見る。NHKのHPには

一度はバラバラになってしまった家族を取り戻すことができるのか。
病気の親を支えて生きる、子どもたちの6年の記録 ―

日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた博さん(21)。中学1年の時に、父が病気で亡くなったことで、母のレオノーラさんが酒に溺れ、アルコール依存症になった。母は病院に収容され、博さんとまだ幼かった3人の弟、妹たちは別々の施設に引き取られ、家族はバラバラになった。
2002年4月、高校1年生になった博さんは、入院生活を送っていた母を引き取り、二人暮らしを始めた。15歳の博さんを支えていたのは、まだ父が生きていた頃の幸せだった家族の記憶。博さんは家事の全てを担いながら生活を建て直し、1年後には離れ離れに暮らしていた兄弟たちも引き取って、再び家族は一つになった。
それから5年、家族と歩み始めた子どもたちは今、どうしているのか…。
高校を卒業した博さんは大阪南港の運輸会社に就職、家族と離れて一人暮らしを始めた。
通天閣の家には、レオノーラさんと、思春期を迎えた3人の兄弟が今も暮らす。まだ体調が万全とは言えない母を兄弟たちが支えての生活。時々、博さんが実家に顔を出し、家族の暮らしぶりを見守っている。
今年に入って、博さんは母の世話や家のことを全面的に弟、妹たちに託そうと考えた。果たして、兄弟たちへのバトンタッチはうまくいくのか…。
博さんが母を引き取ってから6年。一度は失ってしまった家族を取り戻そうとする子どもたちの姿を通して、家族がひとつになることの難しさ、そして、それでも、家族とつながっていたいと思う絆の強さを伝えていく。

とあるのだが、以前に高校生だった博さんが母や兄弟を引き取るところまでのドキュメンタリーを見た記憶があるので、NHKはこの家族をずっと見守っているのだろう。前回の映像もそうだったのだが、今回の映像も、ええ話なんだけれど、3人の兄弟もお母ちゃんも、なんか見ていて切なくて、「大丈夫や」やないやろ、と思ってしまう。家を離れた博さんが「俺には俺の生活がある」と言ったのが、希望だった。「家族」に一人一人が押しつぶされないで、としみじみ思う。