6時起き。同居猫さんたちにえさをやる。野菜ジュースと薬。出勤。7時30分、職場着。雑務、本務。13時30分、先日の休日出勤の半日代休で退勤。
なんでか疲れが出て、電車の中で寝てしまう。帰宅。すぐ外出。税務署へ。一昨年に家を買い換えた損失分を昨年控除してもらったのだが、損失が昨年の年収分を超えたので、今年もまた所得から控除してもらえる。で、その手続き。昨年は書類をそろえるのが大変だったが、今年はローン残高証明と源泉徴収票だけ。あっという間に終わる。もうすぐ任期が終わる同僚に渡すホワイトデーのお返しをデパ地下で買って、帰宅。
障害者の経済学(中島隆信)』を読み終える。記述のあり方にときどきつっかえることもあったのだが、全般には興味深く読む。この本の執筆の目的は「障害者をめぐるさまざまな問題を経済学という分析道具で串刺しにし、読者できる限りわかりやすい形で解説しよう。(p.2)」であり、その向うに「福祉の現場に正しいインセンティブをつける必要がある。障害者とその関係者たちが自分たちの利益のために行動した結果として、すべての人々が幸せになれるような制度設計である。(p.5-6)」という思いがある。相対的にかなり困難な状況にある障害者にとり、経済学で串刺しすることが幸せをホントにもたらしうるのか、という留保もあるが、基本的には、この筆者の思いには賛成する。少なくとも「もっといい人になりましょう」ではどうにもならないのだ。で、やっぱり気になるのは、養護学校やその教員のあり方について。「第6章 養護学校はどこへ行く(p.117-139)」では、

  • 教員のインセンティブは子どもの成長であるが、養護学校では一般に子どもの成長が見えにくいため、養護学校教員は普通校の教員と比べて、よりわずかな成長を見出そうとする気質がないと務まらない。しかし、このような気質がすべての教員に備わっているとは考えがたい。したがって、しばらく試してみることが必要になる。その意味において、人事ローテーションで普通校から派遣される制度は有益である。
  • 養護学校は一種の託児所とも言える。
  • 多くの都道府県で養護学校特殊学級に勤める教員には「調整額」と称される特別手当を支給している。このような特別扱いの理由として3つの仮説を挙げる
  • が、技術はOJTで身につき、養護学校なりのきつい仕事もあるが普通校では当然ある仕事の多くが養護学校になく、類似業種の福祉施設の職員のモラルは給与の高さによってもたらされない(実際、給与は高くない)ので、仮説はすべて妥当しない。結局、実態としては福祉施設の職員とさほどちがわない業務をする職員が教員であるということであり、教員免許を取るためのコストに見合う分だと考えられる。
  • 養護学校は卒業後に進むであろう福祉施設に比べて相当に手厚い。
  • 養護学校は高等部でも授業料免除であるが、無料であることは弊害のほうが大きい。対価を払うことで保護者の学校に対するコミットメントが高まり、サービスを提供する側にもニーズを満たそうという規律効果が働くはずである。
  • インフラとしての養護学校がおおむね整った現在、養護学校は民営化すべきである。教育と介助がごちゃ混ぜになり、そのほとんどを教員免許取得者が行うという明らかな非効率。教育という大義名分のもとで、民間の障害者施設の何倍もの人件費を投じていながら、その成果はなんら問われない。民営化により、さまざまなサービスを提供できる学校を増やし、消費者に選ぶ権利を与えるべき。

と、耳が痛いことも含まれるが、私もおおむね日々感じていることばかり。システムとしてのインセンティブは弱いと思うし、特別手当は意味がないと思う(私は前の勤務校である高校と比べて今の勤務が負担だと思ったことがない)し、莫大な人件費費用も非効率だろうと思う。何より、養護学校は経済学的に見るとこのように見える、ということをよく留意しておきたい。遠くない将来に養護学校や教員に淘汰が起こるかもしれなくて、それが子どもさんのためによいことなら受け入れていかなければならない。
6時、Kさんと外出。近所のとんかつ屋さんでばんごはん。梅しそとんかつ。がっつり。食後、商店街を歩いて、イチゴ、白菜キムチ、大根キムチ、青菜キムチを買う。古本屋で、『思想の落し穴鶴見俊輔)』を見つけて買う。帰宅。
イチゴとコーヒー。「HEY³」を見る。倖田來未はそんなにエロいんだろうか。メール見て、更新HPを見て、日記を更新。今日のBGM、『人にはそれぞれ事情がある真島昌利)』。力が抜けた感じがよい。