無念

今日は朝から来客の予定。10時に起きて家の掃除などして約束の11時を迎えるも来ない。しばらく待っても来ないので電話をかけると「12時半ですよ」と言われる。急にあいた1時間半。新聞に目を通しているとインターホンが鳴る。来客は日本語の堪能な外国人らしき人だった。売りに出している我が家を見に来たというわけだ。私の家を一通り見て、「インドが好きですか?」と聞いてくる。部屋のあちこちにエスニックな模様の布を使っているからだった。「そうですね」と答えると、ニコッと笑っている。程なく帰っていったが、いい印象を残していく人だった。わずかな時間でも人の品ってのは表れる。
1時ごろ家を出て、コンビニでモーニングほかを立ち読む。その後近所のミスドで飽きもせずおかわりコーヒーを飲みながら、新聞の残りと思想の科学を読む。特集は「伝統としてのエコロジー(1995.1月号)」。日本の中の先住、少数の人々の中からエコロジーの知恵を引き出そうという企画だ。以前の私はエコロジーという言葉に違和感を持っていた。なじめない自分は、まちに生きるしかない人なんだと思っていた。10年前だったら飲み込めなかった10年前のエコロジーについてのいくつかの言葉が今日、スーッと自分の中に入ってくることを感じる。私は変化しつつある。どういう方向へ、どのくらい変わろうとしているのか、見定めていきたいと思う。
読み終わって歩いて、元禄寿司ですしを食べる。美味。食後、ジュンク堂に行って「未来に遺しておきたいものは〜鶴見俊輔対談集」を読む。富岡多恵子赤瀬川原平との老いについてのやりとりが面白い。「うつは老いの準備に役に立った」というくだりをうれしく思う。時計を見ると6時半になっていたので途中になったけれど、また続きを読もう。歩いて帰ってU23サッカー「UAEVS日本」を見る。日本側から見て全6試合の中で最も安心して見ることができた試合だった。試合終了後の日本チームの選手のうれしそうな顔を見て私もうれしくなる。いいもんだ。と、メールが来る。旧知のOさんから。「今からタイに行ってきます」とのこと。
10時から「白い巨塔」の最終回を見る。主人公財前五郎が末期がんで余命3ヶ月足らずと告知されて言う「不安はない。ただ‥無念だ」という言葉が私に響く。うつうつしていて死を思わないではない私は、今死んだとしても後悔はなく、だから死を前にしての不安はないと言い切れる。でも、職場復帰を願っている私は、したいことがある私は、いま自分の生が終わるとしたら無念だろう。そうか、無念か。最後に財前五郎が親友でありライバル(関係を適切に言い表せない)である里見侑二に死後の手紙を残す。「能力のあるものはそれを正しく行使する責任がある」と手紙は里見に語る。知識や能力を持つ者は、自分の力だけでそれを得たわけではない。だからその力を適切に使う責任がある。そんなことを思っている最近の私に先の言葉は大きく響きあう。