ねてしまう

今日は朝早く起きて映画を見に行くつもりだったのに、なんだか布団から離れられなくて、気がつくと12時。何で起きられへんねんやろう。昨日の活動が活発すぎたか。でも昨日したことって、動物病院までの往復と電気街の徘徊だけ。半月後の職場復帰がちょっと不安だ。
布団から出てくると同居猫のマリオが騒ぐ。えさがまだかと思ってあげたのに、二匹ともえさを残している。朝同居人が出勤前にあげたみたいだ。何だったんだ、あのマリオの騒ぎは。食いしん坊め。
昼過ぎ、おもむろに家を出ていつものようにミスドにむかう。今日は新聞休刊日なので、思想の科学一冊読む。特集は「現代雑誌名鑑・不完全版(1994.11月号)」。知り合いのMさんが「労務者渡世」っていう興味を今頃そそられる(っていうのも何だか恥ずかしいけど)雑誌を編集していたことを知る。人に歴史ありだなあとちょっと感慨にふける。82年で廃刊になっていてバックナンバーも入手困難とのこと。残念。読み終わって時計を見ると3時前でそろそろかなと思い、店を出る。
その後、昨日までに録画し置いたビデオを見ようと思い、家に帰る。見たのは、一昨日の午後10時45分からNHK教育で放送された「宿泊拒否〜ハンセン病回復者の人権、事件の背景を探る」。宿泊拒否事件の報道に接した当初、「今だにこんなこと(宿泊拒否)するやつおるんか」と感じたことを思いだした。番組を見てると、被害当事者であるハンセン病回復者に少なからず送られている中傷の手紙の断片が紹介される。中傷の声があって被害当事者がいやな思いをしていることは知っていたけれど、その文面が酷くて驚く。だけれど、進む番組の中でハンセン病回復者を支援する弁護士が語る言葉に、憤る自分自身を省みさせられた。その弁護士が言わんとしていたのはこんなことだ。

差別されている人がいると、かわいそうって支援する。でも、そのかわいそうな人が自分で立ち上がってたたかおうとすると、違和感を感じて去っていく。そんな人がいる。支援する人の中に差別する気持ちが横たわっているんです

ドキッとさせられる言葉だ。私は力関係からいえば、強者として人と接することが多いと思う。強いってことをちゃんと考えて接することは難しい。自戒しようと思う。そのあと、昨日サッカー中継の裏でビデオに撮っておいた「ジャンクSPORTS」を見る。浜ちゃんはやっぱり面白い。浜ちゃんも松ちゃん同様にきわどい道をこれからも走ってほしい。浜ちゃんが丸くなって、ダウンタウンやすきよになってしまうのは見たくない。同居人が帰ってきたので、近所のラーメン屋で晩御飯。食後に近くの成城石井へ行って、同居人がおやつを買う。家に帰ってきてテレビをつけると「HEY!HEY!HEY!」をやっている。ダウンタウン、やっぱりオモロイ。