精神科医がものを書くとき(中井久夫)

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

つづけて読む。しみいることばのかずかず。

回復の一時期、母親のフトンに入ってくることがある。一般によい徴候である。父親に甘えるのはずっと後に来る。いっぱんに子どもは父親にはどう甘えてよいかわからない。「甘える」とは言葉以前に通じ合えるものを求めることで、母親とのあいだのほうがやさしい。だから、父子の間には切ないものがある。父親はどういう人であろうと回復期の患者「コワイ社会の代表」にみられがちであり、実際、その役をやらねばと思い込みがちである。父親は理解しにくい、されにくいものである。しかし、父親の言葉は子どもには千金の重みがあることが多い。意外にも子どものほうから手をさしのべることがある。たとえば父親のフトンにもぐりこんだり、父親と背中合わせでうたた寝しようとする。この体験のある人の治りは格段によい。どうか、気持ち悪いなどと思わず、このサインを受け取ってほしい。それはかならず「いっとき」であって、しかもその実りは遠くに及ぶのである。
(『家族の方々にお伝えしたいこと』P.284)