樹をみつめて中井久夫)』
某ブログで「戦争と平和についての観察」というエッセイのことを知り、図書館で借りて読む。樹のこと、神戸のこと、平和のこと、精神医学のこと、神谷美恵子のこと等々、愛情と節度とか適切にそこにある感じがして、読んでいて心地よい。

戦争と平和というが、両者は決して対称的概念ではない。前者は進行していく「過程」であり、平和はゆらぎを持つが「状態」である。一般に「過程」は理解しやすく、ヴィヴィッドな、あるいは論理的な語りになる。これに対して「状態」は多面的で、名づけがたく、語りにくく、つかみどころがない。
……
戦争における指導層の責任は単純化される。失敗が目に見えるものであっても、思いのほか責任を問われず、むしろ合理化される。その一方で、指導者層が要求する苦痛、欠乏、不平等その他は戦時下の民衆が受容し忍耐するべきものとしての倫理性を帯びてくる。それは災害時の行動倫理に似ていて、たしかに心に訴えるものがある。前線の兵士はもちろん、極端には戦死者を引き合いに出して、震災のときにも見られた「生存者罪悪感」という正常心理に訴え、戦争遂行の不首尾は自らの努力が足りないゆえだと各人に責任を感じるようにさせる。
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人々は、したがって、表面的には道徳的となり、社会は平和時に比べて改善されたかに見えることすらある。かつての平和時の生活が、自己中心、弛緩、空虚、目的喪失、私利私欲むきだし、犯罪と不道徳の横行する時代として低く見られるようにさえなる。
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平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常にわかりにくく、目に見えにくく、心に訴える力が弱い。
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平和が続くにつれて家庭も社会も世間も国家も、全体の様相は複雑化、不明瞭化し、見渡しが利かなくなる。平和の時代は戦争に比べて大事件に乏しい。人生に個人の生命を越えた(みせかけの)意義づけをせず、「生き甲斐」を与えない。これらが「退屈」感を生む。平和は「状態」であるから起承転結がないようにみえる。平和は、人に社会の中に埋没した平凡な一生を送らせる。人をひきつけるナラティヴ(物語)にならない。
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平和においては、戦争とは逆に多くの問題が棚卸しされ、あげつらわれる。戦争においては隠蔽されるか大目に見られる多くの不正が明るみに出る。実情に反して、社会の堕落は戦時ではなく平和時のほうが意識される。社会の要求水準が高くなる。そこに人性としての疑いとやっかみが交じる。
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平和時の指導層は責任のみ重く、疎外され、戦時の隠れた不正に比べれば些細な非をあげつらわれる。指導者と民衆との同一視は普通行われず、指導者は嘲笑の的にされがちで、社会の集団的結合力が乏しくなる。指導者の平和維持の努力が評価されるのは半世紀から一世紀後である。すなわち棺を覆うてなお定まらない。浅薄な目には若者に限らず戦争はカッコよく、平和はダサいと見えるようになる。
時とともに若い時にも戦争の過酷さを経験していない人が指導層を占めるようになる。長期的には指導層の戦争への心理的抵抗が低下する。その彼らは戦争を発動する権限だけは手にしているが、戦争とはどういうものか、そうして、そのように終結させるか、その得失は何であるかは考える能力も経験もなく、この欠落を自覚さえしなくなる。
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そして、ある日、人は戦争に直面する。
第一次大戦開始の際のドイツ宰相ベートマン=ホルヴェーグは前任者に「どうしてこういうことになったんだ」と問われて「それがわかったらねぇ」と嘆息したという。太平洋戦争の開戦直前、指導層は「ジリ貧よりもドカ貧を選ぶ」といって、そのとおりになった。
戦争と平和についての観察)

妄想や幻覚について耳を傾けるのはよい。しかし、妄想内容に対して論理を以て折伏しようとして成功した例をきいたことがない。「ふしぎだね」「私は経験したことはないが、あなたも初めてだろう」というようなことをぼつりぼつりという。「論理で先へ先へ考えて深い穴を掘るのはどうかと思う」といい、「今はとてもそうは思えないだろうけれどほんとうは大丈夫かもしれない」とつぶやくくらいであろうか。
(妄想と夢など)

私は、現在の精神医学の外傷治療を万事良しとみて、その“高み”から下を見下ろして神谷さんの臨床実践をトラウマ治療の先駆者として言うのでは決してない。その逆である。現在のトラウマ治療学は満足にはほど遠い。今なお神谷さんの臨床から謙虚に学ぶものがあると私は感じている。
比較的癒えやすいのは、人災よりも天災、持続的よりも一回的な災難、ダブルパンチ、トリプルパンチ(短期間内複数種打撃)よりもシングルパンチ(単一種打撃)である。また、外傷後事態の直後よりも長く経ってから症状が始まる人のほうが一般に重症である。
当時のハンセン氏病を考えれば天災的部分より人災(社会的排除)の割合が大きく、明らかに持続的であり、多数の打撃であったことも想像に難くない。精神症状が遅れて始まる人も多かったのではないか。このように重症の条件が揃った外傷患者に対して治療者は、なるほど向かい合いつづけてはいるけれども、、暗夜にかぼそい灯をともして手探りでゆく心細さであるのが実状である。
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このような人の治療は行なう者の骨身にこたえる。なるほど、トラウマには統合失調症の一部症状の意味での了解困難性はないが、当事者出ないものにわかってたまるかといわれることはある。擬似体験者であることに治療者は苦悩する。そして何よりもまず、トラウマの語りは生々しく治療者を打つ。それゆえの治療者の苦悩である。それは、まさに当事者でないことと合わさって治療者に罪悪感をもたらす。「なぜ私でなくあなたなのか」
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神谷さんが一九七九年に世を去ってから長い年月が流れたのに、長島愛生園で神谷さんとおつきあいのあった方々に会った人の手紙によれば「皆さんが神谷先生はほんとにへだたりがなく、はにかむようにお話をされたとおっしゃいます。それぞれの方が神谷先生との思い出を大事に大事になさっていて、打たれました」とある。
「はにかむ」とは胸を突かれる言葉である。新鮮で初々しくはにかむ練達の精神科医はめったにいない。それは尊大な「専門家」の対極である。この「はにかみ」に秘密があるのかもしれない。私は素直に感嘆する。
神谷美恵子さんの「人と読書」をめぐって)

本との付き合いの私の土台はあのおぞましい精神的欠食児童体験*1である。それは私の傷でも限界でも資産でもある。今も地図や海の年鑑を見ると疲労が癒える。
(これらの切れ端を私は廃墟に対抗させた)

*1:戦時中のこと