だれか、ふつうを教えてくれ! (よりみちパン!セ)(倉本智明)』
読もう読もうと思いながら積読になっていた本を、人にプレゼントするにあたって、ようやく読む。
20代前半までを弱視者ですごし、現在はほぼ全盲に近い状態だという著者の語り。小学校の4、5年の頃の野球の話がとても興味深い。それまでぼく(著者)もまわりもぼくの障害のことを意識することがなかったけれど、野球となると意識せざるを得なくなってくる。で、野球ではつまらなさそうにしているぼくに「何とかせなあかんな」とみんなが考えてくれて、ぼくのための変則ルールが生まれる。

  • 守備は、飛んでくる確率の低いライトを守る(実際に飛んできたら、カバーするようスタンバイしているセンターがダッシュする)。
  • 打撃は、山なりのゆるい球を投げてもらう(たまにバットにあたる)。
  • 走塁は、チームメイトがそばについて、「ダッシュ」「戻れ」と声をかける。

こんな形でみんなのやる野球に参加する。で、著者は回想する。それ自体はよろこばしいことだし、配慮をごくあたりまえに行う友だちにもうれしく思う。でも、せっかくみんなが考えてくれたルールが「実際やってみると、これがかなりつまらないものだった」。守備は人任せで、攻撃に自分の失敗がない。緊張感、遊びの充実感がなく、極端に言えばいてもいなくても変わらない。そして、こういう状態をみんなは「よかれと思って知恵をしぼって」作ってくれたことになる。このエピソードに続けて、「『共生』は簡単じゃない」と言う。
このあと、「ふつう」が相対的なものであること、障害が軽いから生きやすいわけではないこと、だから「わからない」からはじめて、目の前の人ならたずねよう、みんなのことならよく考えよう、時間もお金もかかることだから簡単でもあり、難しくもあるけれど、と話が続く。
こうした話の一つ一つに、簡単ではないことを簡単にせずに、でもあきらめずに考えていくあり方を学ぶ。自分の現実を考えても、「共生」なんで簡単ではなく、一緒にいるのがしんどい人がいないわけではない。どうしたら気持ちよくすごせるかはお互いわからないんだから、いやおうなく持たされている力関係をちゃんと意識しつつ、まずはきく。人が増えたら、考えることを増やしながら、みんなで考える。簡単でもあり、難しくもあるこんなことを思い出させてくれる、いい本だと思う。